こんにちは。社内のセキュリティ業務にAIを取り入れる業務を担当している、Security Development Division(LINE Plus Security R&D)チームです。
この記事は、社内のセキュリティガバナンス運用業務を支援するAIエージェント基盤SAGEについて、技術・運用の観点から解説する第1弾です。セキュリティドメインにAIの導入を検討されている担当者のみなさまに参考となるような、設計上の決定事項や運用方法をまとめてみました。
本題に入る前に、私たちがどのような方向性を目指しているのか、簡単に説明します。
セキュリティ業務にAIの導入を検討する際、議論は往々にして両極端に偏りがちです。一方は、「人間の介入なしに自ら判断する完全自律型エージェント」を最初から完成形として作り上げようとするアプローチです。しかし、このアプローチは実務に適用する過程で限界が露呈することがよくあります。もっともらしいが不正確な回答が誤った判断の根拠となり得るというリスクが、セキュリティにおいては他の領域よりもはるかに致命的だからです。もう一方は、リスクが大きいと見なして導入そのものを先送りするアプローチです。このアプローチには、導入が先送りされるほど、担当者が散在する規定や事例を一つひとつ探し出すという反復作業を続けなければならないというデメリットがあります。
私たちは、この両極端の間で、人間の判断に代わるのではなく、判断の準備を支援することから始め、段階的に範囲を広げていくという方針を選びました。そして、以下のように3段階に分けて導入する方式を設計しました。
- 第1段階 — 人間の判断を支援する段階:AIが一次整理と根拠の収集を担当し、セキュリティ上の判断や例外承認といった責任を伴う決定は人間が行います。
- 第2段階 — エージェントが協働する段階:複数のエージェントが役割を分担し、人が直接手を加える必要のある領域を徐々に狭めていきます。
- 第3段階 — 定型領域から自動化を進める段階:十分に検証済みで、定型的な業務から人の介入を最小限に抑えます。
これら3つの段階は、明確に分離できるものではありません。実際、SAGE内でも、限られた範囲内で複数のエージェントが役割分担して協働したり、定型化された一部の作業を自動化したりする試みがすでに始まっています。ただし、この記事では第1段階、つまりAIが人間の判断に代わるのではなく、判断の準備を支援する方式を中心に見ていきたいと思います。
自律エージェントという構想は魅力的です。しかし、実際の複雑な業務ではやはり人の介入が必要となり、その過程で私たちは自律エージェントの限界を十分に把握しました。その結果が、前述した3段階の導入プロセスです。実際に機能する第1段階をまず安定させ、検証された範囲に限定して、次の段階へと広げていくという進め方です。続く内容もこの観点から、人とAIが協 働する現在の仕組みと運用方法を中心に説明します。
なお、この記事に登場する回答形式、運用ルール、検証段階の説明は、実際のシステムの意図をわかりやすく解説したものです。社内コンポーネントの実際の名称、指示文の原文、個別の規定文書名、および実際の運用数値については、セキュリティ上の理由から意図的に一般化して表現しています。
セキュリティ業務にAIを導入する際に直面する壁
「このデータを外部サービスにアップロードしてもいいですか?」
セキュリティ部門に寄せられるこの種の質問に回答する過程には、通常、以下のような確認作業が隠されています。
- どのようなデータか(情報区分)、どこへ送られるか(外部送信・国外送受信・委託)、何に利用されるか(生成AI・外部SaaS)によって、それぞれ異なる規定の条項を確認する必要があります。
- 過去に同様の相談がどのように解決されたかを確認する必要があります。
- 運用チームが把握している「最近よく却下される理由」や「このメッセージは実は別の原因によるもの」といった情報が答えの手がかりとなるため、これらを確認する必要があります。
問題は、各資料が業務領域やシステムによって異なる場所に分散しているという点でした。社内規定やガイドラインはConfluence文書にまとめられており、セキュリティコンサルティングの相談履歴や事実関係はJiraのチケットに記載されています。また、セキュリティ運用に関する問い合わせへの回答過程で蓄積された対応ノウハウは、Slackの履歴や担当者の頭の中に残って います。つまり、1件の回答を作成するために、担当者が複数の領域に散在する資料を行き来しなければならないという困難があり、その結果、担当者の熟練度によって回答の品質や処理時間に大きなばらつきが生じていました。
以下の図は、セキュリティ相談1件が処理されるまでの流れを、時間の経過に沿って簡略化して示したものです。図の中で色分けされている「担当者」のステップは、すべて人の手による作業が発生する工程です。

私たちが解決したかったことは単純です。これらのステップを、人が「より迅速かつ安全に」処理できるよう支援することでした。これは、AIが一行の回答を自動的に生成することではなく、回答の直前に至るまでの一次整理を済ませておく同僚を作ることに近いものでした。
私たちが計画したSAGEの目標をもう少し詳しく説明すると、以下のようになります。
- 現段階では、公式な判断や確定的な回答を生成するよりも、担当者が迅速に対応できるよう、一次資料の整理と根拠の確保を自動化します。
- Slackチャンネルへの問い合わせのように、より迅速な対応が必要な環境では、AIがまず安全な一次対応を行い、対応の遅れを最小限に抑えます。
- 追加情報が必要な部分については、AIが事前に特定しておくため、担当者と依頼者間の追加確認のやり取りそのものを減らすことができます。
- その結果、担当者の熟練度の違いによる回答の質や応答時間のばらつきを減らし、依頼者はより一貫した質の高い対応をより迅速に受けられるようになります。
- 依頼者と担当者の双方に、「どの資料・規定を確認すべきか」を素早くお知らせします。
この記事では、その目標に向けて構築したSAGEの3つのエントリーポイント — セキュリティ相談アシスタント(Jiraベース)、セキュリティ運用案内アシスタント(Slackベース)、セキュリティ分析ワークベンチ(担当者向けWeb) — を、どのような仕組みで構築し、どのように運用しているかを、一つずつ順を追って説明していきます。
SAGEとはどのようなシステムですか — 全体像を一目で把握する
SAGEは単一のチャットボットではなく、3つのエントリーポイントが同じセキュリティ知識資産と共通のAIオーケストレーション層を共有する基盤です。各エントリーポイントごとに、「動作のタイミング」、「回答が届く場所」、「回答に含まれる情報の形式」が異なります。また、各エントリーポイントから始まるワークフローは、1つの巨大なAIエージェントで構成されるワークフローではなく、詳細な作業段階ごとに専任のAIエージェントを配置したマルチエージェント・ワークフローです。
全体像

3つのエントリーポイントの比較
以下は、3つのエントリーポイン トの特性を比較した表です。
| 項目 | セキュリティ相談アシスタント(Jiraベース) | セキュリティ運用案内アシスタント(Slackベース) | セキュリティ分析ワークベンチ(担当者向けWeb) |
|---|---|---|---|
| 運用段階 | 本番運用中 | 本番運用中 | 本番運用中 |
| トリガー | チケット作成・コメントイベント | チャンネルメッセージ | 担当者が直接実行 |
| 主なユーザー | 相談依頼者およびセキュリティコンサルティング担当者 | 社内の従業員およびセキュリティ運用担当者 | セキュリティ担当者(ISM・運用など)+一部の機能については、全従業員へと拡大中 |
| 回答の場所 | チケットのコメント | Slackのスレッド | Web UIの結果ウィンドウ |
| 回答の目的 | セキュリティ相談のための根拠・意見・確認事項の提供 | ユーザーに安全な一次案内を提供する | 担当者向け分析ツール |
| ユーザーへの直接表示 | チケットに自動コメントとして表示 | Slackの スレッドに自動案内を表示 | 実行したユーザーの画面にのみ表示 |
| 人によるレビュー | 自動コメント後の担当者レビュー | 自動投稿後、必要に応じて事後レビュー | 担当者による直接実行およびレビュー |
| 回答の責任境界 | 担当者向け参考提案(公式な判断ではない) | ユーザー向け参考情報(公式見解ではない) | 担当者レビュー用の分析結果 |
この表で最も重要な行は「回答の責任境界」です。セキュリティ相談アシスタントは、担当者が回答を作成する前に、机の上に整理された資料を置いておく役割を担います。また、セキュリティ運用案内アシスタントは、担当者がすぐに対応できない場合でも、ユーザーが安全な一次案内を受けられるようにする役割を担っています。セキュリティ分析ワークベンチは、同じワークフローを担当者が自ら実行する際に使用する分析ツールです。
3つのエントリーポイントの表示方法は異なりますが、目的は同じです。今回の記事で取り上げる段階の目標は、セキュリティ担当者を代替することではありません。担当者が対応する前に資料を収集して一次整理を済ませておき、担当者の一次対応が難しい状況では、ユーザーが次のアクションを開始できるようにまず案内を提供することで、担当者がより迅速かつ一貫性を持って、より質の高い回答やレビューができるよう支援することが目的です。
技術 スタックの概要
上記の構造の各領域が、実際にはどのようなツールで構成されているのかを見てみましょう。
| 領域 | 使用技術/ツール | 役割 |
|---|---|---|
| AIワークフローオーケストレーション | Langflow | ローコードベースのAIエージェント・ワークフローの構築と実行 |
| 生成モデル(LLM) | GPT系(OpenAI) | AIエージェントの意図分類・推論・回答生成 |
| オブザーバビリティ・トレース | Langfuse | 実行トレースの蓄積、週間運用レポートのデータソース |
| 外部システムとの連携(ツールの呼び出し) | MCP(Model Context Protocol、Atlassian系など) | Jira・Confluenceの閲覧・編集、規定・ガイド原文のリアルタイム検索機能をAIエージェントのツールとして提供 |
| ベクトル検索(RAG(retrieval-augmented generation)、検索拡張生成) | OpenSearch Vector Store + Embedding Model | 過去の相談・運用ノウハウのインデックス |
| 社内ナレッジソース | Confluence Wiki・Jiraチケット | 規定・ガイドの本文と相談履歴 |
| ワークベンチバックエンド | FastAPI | REST API・UIルーター・Langflowプロキシ |
| ワークベンチフロントエンド | htmxベースのWeb UI | サーバーサイドレンダリング + 部分更新 |
| セッション・共有ストレージ | インメモリキー・バリューストア | セッション・共有データの保存 |
実際の推論と回答の生成はGPTシリーズ(OpenAI)のモデルが担っており、ワークフローの難易度やコストに応じて、モデルサイズと推論強度(reasoning effort)をワークフローごとに変えています。簡単な分類や正規化には小型のモデルを、規定の解釈や複雑な相談内容の整理には、より大きなモデルやより高い推論強度を使うといった具合です。
この構成では、Langflowがワークフローの構築と実行を担当し、GPT系モデルが推論と回答の生成を担当します。Langfuseは実行プロセスのモニタリングを行い、MCPはJiraやConfluenceといった外部システムをAIエージェントが呼び出せるツールとして連携させます。OpenSearch、Confluence、Jiraは、過去の相談や規定、運用ノウハウを検索するためのナレッジソースとして使用されます。各エントリーポイントが上記のツールを実際にどのように組み合わせて使用するかについては、続く章でワークフロー単位ごとに解説していきます。